万里の長城

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10月

万里の長城

いつ出来たのか?

万里の長城は、秦の始皇帝の時代に匈奴の侵略から守るために作られたといわれており、その後も拡大して作られいき、明朝の時代に完成したと言われています。
全長は6,000kmとも12,000kmとも言われており、どこからどこまでを万里の長城とするか、人によって見方が違います。

元々各地で作られていた壁をつなぎ合わせて完成させ、漢や明の時代には堅固に城壁を補強しました。
明の時代になると、嘉峪関や山海関の東西、さらには北朝鮮国境近くまで延長されます。
北京近郊の城壁は二重に築かれており、地域としての重要性を示唆します。
初期の頃は遊牧民の侵入を防ぐために作られたと考えられており、紀元前5世紀頃に建造が始まったとされます。

始皇帝が最初に作ったとされていますが、それは各地の城壁を繋げて完成させたという意味合いが強いです。
それまでには何度も作っては延長されています。
紀元前770年からの周の時代には境界として、紀元前221年からの秦の時代は始皇帝によって、紀元前206年からの漢の時代には西に延長され、1368年からの明の時代には北京周辺を強化しました。

その建造には軍人の他に農民や謀反人なども導入され、石やレンガを用いて作られました。
今のような重機はありませんので、人での他にロープやカートなどを用いて石やレンガを運んで作られました。
壁としての役割の他に、監視塔や兵隊の警戒地域として、軍としての防衛拠点としての役割がありました。

観光地と今後の様子

万里の長城は観光地として有名であり、人が多く訪れる場所ですが、そのために人為的なものによって失われる部分もあり、また自然浸食によっても失われる部分があり、全体の30%が失われつつあると言います。
中国政府としては保護していく方針であり、修復や法的な保護も行っています。

観光地として1日7万人もの人が訪れる場所であり、全長が何千メートルもあるので、見所も多数あります。
どの場所を訪れるにしても1日では全てを見れないぐらい、広大な長さがあります。

北京市郊外にある慕田峪長城は現在は全体が修復済みであり、とても綺麗な万里の長城です。
石段を登るコースの他にロープウェイでも行けます。
金山嶺長城は、万里の長城としてはとても有名な場所であり、写真でもよく見かける風景です。
明の時代に作られたところであり、ハイキングコースとしても有名です。
昔ながらのそのままの石畳の城壁が見られます。
山深い中にあるのが司馬台長城であり、勾配が急な城壁です。
崩れた石畳がそのまま残る情景のある場所であり、作られた当時の様子をうかがえます。
東西にくねった道が続く歩くには少々体力のいるところであり、ふもとに行くと司馬台ダムがあり、湖でボートに乗ったり釣りを楽しんだり出来ます。