日本でも大人気の中国発祥ゲーム
麻雀といえば、正方形の卓を囲み4人で決められた文字や模様の書かれた牌を持って行うゲームです。
発祥については諸説はあるものの、もととなったものは中国にあり、日本に伝わってからは独自のルールや用具などが加わって大規模に普及していったという歴史があります。
中国国内にはこの麻雀を世界無形文化遺産に登録しようという意見もあるようですが、現在世界各国で行われている麻雀はどちらかというと元祖である中国麻雀ではなく日本で発展した和風アレンジの麻雀であるということもあり、なかなか統一見解にはいたっていないようです。
反面で麻雀はローカルゲームがオンラインの通信式ゲームにどんどんおされてきている現代においても根強い人気となっており、ビデオゲームとしても実際に卓を囲む方法としても全国各地や世界各国で多くの人から行われるようになりました。
特に近年ではオンライン麻雀の高性能化により、面倒な点数計算がなく上がり牌の誘導のある初心者向けのものも登場してきました。
そのこともあり女性雀士が多く登場したり、年代を問わずに通信で対戦したりというような交流も深まってきています。
麻雀伝来の歴史
中国国内で麻雀という遊びが普及したのは、西太后の全盛期とだいたい同じくらいの頃とされています。
年代としてはだいたい1800年代の中頃くらいからで、西太后が麻雀の普及に間接的に貢献したというふうにも見ることが出来ます。
面白いのがさすが映画を極めた西太后と中国王朝という印象が強く、使われた牌がルビーやサファイヤ、ダイヤモンドなどを牌の文字に埋め込むなど非常に高価なものであったということです。
ただしこの牌は清王朝が滅亡したことで現在も行方不明になってしまっています。
さて日本に伝来した時期ということですが、これはだいたい1920年ころの大正中期とされています。
意外に最近だという気もしますが、それ以前の明治時代にも鹿鳴館には麻雀牌が置かれていたという話も残っており、存在そのものは知っていたけれども遊びとして普及するまでにはしばらく時間がかかっていたということでしょう。
ただし日本における麻雀はそのあとに始まってしまった太平洋戦争により日中関係が悪くなった影響で一時流行は消滅しています。
再び人気が出始めたのは戦後の敗戦のさなかで、今度は中国麻雀が一旦米国に輸入されて若干ルールを改変されたものが日本に入ってきたという流れです。
参考はこちら:http://www.h-eba.com/heba/majan/history4.html
本場中国麻雀と日本の麻雀の大きな違い
中国麻雀と現在の日本の麻雀にはたくさんのルールの違いがあります。
その一つが「リーチ」という上がりは牌にあと一つという人がかけることができる役ですが、これはもともとの中国麻雀にはなく、どちらかといえば米国で一般的なゲームであるポーカーにおける「コール」に大きな影響を受けたものとされています。
また麻雀の役は基本的に同じ牌を三種類ずつ集めるものなのですが、例外としてある「チートイツ」という二種類ずつにするものもあります。
これもあとから作られたポーカーに近いルールではないかと言われます。
もともとの中国麻雀は全体的にギャンブルという要素が強く、打ち手の技量よりも運の方が多く勝負を左右するしくみでした。
そこにポーカー要素が加わったことで戦略やゲーム性が強くなり、現在では運と技量とが半々くらいでほどよくバランスがとれたルールに落着いています。