中華料理でも長い歴史を持つ料理
中華料理は数多くありますが、その中でも特に歴史が長く庶民の間に国民食として広く浸透してきたものの一つが「炒飯」です。
日本でも大好きなメニューとして挙げられることの多い炒飯ですが、本場中国で炒飯を頼んでみるとかなり日本とは違った印象のものがでてきたりします。
炒飯という料理は北京ダックやエビチリのようにある程度決まった調理法があるわけではなく、ラーメンや焼きそばのようにいくらでもアレンジができるものなので、中国内で注文をしたとしても出てくる味は地域ごと・店ごとにかなり違ってきます。
この作る人の数だけ種類があるというところもまた炒飯という料理の魅力の一つと言えます。
炒飯の起源と中華鍋の誕生
中国における炒飯の歴史は、実は中華料理の基本用具である中華鍋の誕生と大きな関係があります。
炒飯の原型となる料理が誕生したのはだいたい6世紀から7世紀にかけての頃で、歴史的には随の時代から唐の時代頃です。
中国は日本同様お米が主食として使われてきましたが、それまではお米を食べるためにかまどが用いられていました。
そこに鉄器技術が発展したことにより、より高温を早く食材に伝えるということができるようになりました。
更に燃料も薪だけでなく石炭などより高熱のものが使われるようになったことで、時間のかかる炊飯を早くする手法が誕生し、手軽に動かすことができる釜=中華鍋でお米に火を通すという行動がそのまま炒飯という料理につながっていきました。
現在でもおいしく炒飯を作るためには底が丸く炎の当たる部分が普通のフライパンよりも広い中華鍋は欠かせないアイテムとなっています。
日本の炒飯と本場炒飯の違い
日本でよく作られている炒飯は、あらかじめ炊いておいた白米を炒めてそこに具材と調味料を追加するという方法が取られています。
ですが本場の炒飯は炊飯する時点から既にチャーハン用として味付けをしていることが特徴で、スープを使って炊いたお米を中華鍋でタップリと油にからめてつくります。
お米をスープを使って炊くという方法は中国からインド、ヨーロッパまで西に続くシルクロードで伝えられており、インドでは「プラーカ」、トルコでは「ピラフ」という料理で呼ばれています。
日本においても遣唐使によってこのスープで作る炒飯は早くから伝えられていたのですが、本格的に普及するようになったのはもっとずっとあとのことで、残りの白米を手軽に食べる方法としての「焼き飯」が日本的炒飯の起源と言えます。